祖母の祥月命日だったので、予算特別委員会の昼休みにパッと墓参りに行ってきました。
亡くなったのは昭和58年(1983年)だったので、ちょうど40年前、私が高校受験に受かった二日後でした。
祖母は昭和43年(1968年)に脳梗塞で倒れ、それ以来、在宅で寝たきりの生活を送りましたので、私は祖母が立っている姿は記憶にありません。
その頃は介護保険も無かったので、主に介護をした実の娘である母は気の休まるときはなかったと思います。私も一緒に住んでいたので、少し手伝いをしていました。
昭和56年(1981年)8月に母がメニエール病で倒れ、介護が出来なくなり、祖母は日野市の長男(私の伯父)の家に行くことになり、そこで亡くなりました。
祖母の夫である私の祖父は荒木町で魚屋をしていたので、休日の日曜日のたびに祖母に会いに行きました。私も祖母に会いたいのと、祖父も80歳を超えていたので、一緒に付いていきました。
亡くなって荒木町の家に祖母が無言の帰宅をした時、母はずいぶん泣いていたのを覚えています。もちろん母親の死ということもありますが、自分が倒れたので離れて生活をしなくてはならなくなったという気持ちだったのでしょう。
祖母の没後40年という節目でしたので、当時の事を綴ってみました。
コメントをお書きください